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初稿 00/11/15
更新 02/01/14

講座技術の社会史:計量標準

三上喜貴@長岡技術科学大学
email: mikami@kjs.nagaokaut.ac.jp
home: http://kjs.nagaokaut.ac.jp/mikami

 

本章の狙い

計量標準は技術と社会を結ぶ極めて求心的な構造をもつ領域です。その歴史は文明の歴史と同じ程度に古く、

現代のSI基本単位は、長さ、質量、時間、電流、温度、光度及び物理量の七つからなっていますが、これらは5000年にわたる人類文明の精華として形成されてきたものとも言えます。

 

SI: System International d'Uniteの略

古代の度量衡

 

古代社会で用いられた尺度の多くは人間の体が基準でした。最も素朴な測定器は人間の体だったからです。手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さ(約20センチメートル)は中国で「尺」として用いられ[1][1]、足の踵(かかと)から爪先までの長さ(約30センチメートル)はイギリスで「フィート」となりました。穀物が基準として用いられたこともあります。いまでは1尺=10寸ですが、「寸」の字源を辞書で引くと、黍の実を10個並べた長さとなっています。このような自然発生的な尺度は世界中の至るところに見られます。

やがて集権的な国家体制ができると、計量の単位が統一されるようになりました。徴税や取引の公平のためです。古代メソポタミアに発達したスメル文明は60進法に基づく整然たる度量衡制度を持っていました。その精緻な体系はエジプトにわたり、またバビロニアやアッシリアを経由して古代ギリシャ文明にも継承されました。西洋社会に広がったヤードやフィートの原型はこのスメル文明に起源を持つ「キュビト」であると言われます。キュビトを表す象形文字が「肘」であることからも明らかなように、それは中指の先から肘までの長さが基準になっており、紀元前2300年頃のスメル王像に刻まれた目盛によると1キュビトは463mmでした。エジプトの大ピラミッドの底辺は一辺500キュビトの正確な正方形でした。このキュビトはギリシャに伝わって617mmとなり、キュビトの半分の長さがオリンピック・フィートとして後のフィートの起源になりました。古代スメル文明の時間と角度の単位は現代でもそのまま用いられています。

中国では秦(紀元前221-206)の始皇帝によって度量衡標準が定められました。ここで、度は長さ、量は容積、衡は重さの標準を表します。日本では大宝律令(701)によってはじめて度量衡の統一が行われたといいます[2]。そこでは中国から高麗を経由して渡来した単位が基準とされました。

■貫の由来は?

 

図■ 「キュビト」の象形文字と「尺」の象形文字

60進法の起源

国際度量衡局(BIPM)のロゴ。中央の人物は両手でメートル原器を持っている。

メートル法の誕生

近代の度量衡はフランス革命の過程で誕生しました。1789714日のバスチーユ監獄襲撃をきっかけに、フランスの王政は倒れ、貴族の封建的特権は廃止され、教会財産は売却されました。既存の権威はことごとく破壊されたのです。こうした中で、計量単位や暦も新しく作り直すことが提案されました。新しい単位作成の仕事はフランス学士院に委託され、学士院は■年にわたる研究の末、「北極から赤道までの距離の一千万分の一を1メートルとする」という案を提出しました。どこの国から見ても公平な基準である地球の大きさを基準とし、しかも、単位の名称であるメートル(metre)はギリシャ、ラテン語で「測る」を意味する単語から選ばれました。そして新しく成立した共和制下のフランス国民会議は1793年にこのメートル法の採用を宣言しました。おそらくフランス革命政府は直ちにメートル法への統一を呼びかけるつもりだったのでしょうが、ナポレオンによる帝政、王政の復古、第二共和制など、王政と共和制の間で振れたため、それが実現したのは80年後のことでした。(■地球子午線の測定を目指した探検隊がパリを出発したのはいつか?)■キログラムは?

 

 

 

 

メートル条約の成立

メートル法を生み出したのがフランス革命とすれば、メートル条約を成立させ、電気単位の国際標準化を成し遂げたのはフランス第三共和制だったと言えます。1870年、フランス政府の提案により、計量標準の単位としてメートル系を採用することを検討するための国際会議がパリで開催されました。そして1875年に至り、欧米18カ国が集まってメートル条約(Convention du Metre)に調印しました。それぞれの国の長い歴史の中で定着してきた計量単位をフランス生まれのメートル法に統一するという条約ですから、調印までには激しい駆け引きや多数派工作があったのですが、ともかくも主要工業国の計量単位はメートル法に統一されました。未だにインチ・ポンド法を実施している米国もこの時にメートル法条約に調印しています。後述するように、日本がメートル条約に調印するのは10年後の1885年のことです。

 

電気基本単位の制定

メートル条約成立6年後の18819月、パリで万国博覧会が開かれたのをきっかけに、フランス政府は電気諸量の単位統一を図るための国際会議を招集しました。電流、電圧、電気抵抗、電気量、電気容量の5つの基本単位を定めるために、各国から300人を超える科学者がパリに集まりました。この時、議長国フランスのほか、イギリス、ドイツ、イタリアから3人の副議長が選ばれましたが、イギリス代表の副議長はケルヴィン卿、ドイツ代表の副議長はヘルムホルツでした。既に5つの電気量の相互関係は知られていましたから、独立な2つの単位を定めればよく、これに対する回答はケルヴィン卿の提唱によりイギリス学士院のもとで1861年から進められていた委員会の提案により与えられました。

この会議の後、電流計や電圧計が多数発明されましたが、その内の一人は工部大学校から母国に戻ったばかりのエアトン(W. E. Ayrton, 1847-1908)でした。電気学会の事実上の創設者である志田林三郎()もケルヴィン卿の下で■年間学んだ弟子であり、こうした動きについては十分な注意を払っていたようです。18851月の工学会例会で彼は「電気万国公会議事の概略」と題する報告を行っていますが、その最後を「■」と結んでいます[3]

 

備考欄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SI単位系の成立

パリで開かれた万国公会議の流れは、その後の電気事業発達の趨勢に従って米国へと受け継がれていきました。この問題については、まず1893年にシカゴで■が開催され、アンペア、ボルト、オームなどの単位呼称が決定されましたが、電磁気的な量とメートル法体系との関係は当初明確でありませんでした。■この関係が良く分からない!!

当初のメートル法における基本単位は、長さ(メートル)、質量(キログラム)の二つでした。しかし19世紀末に電気技術が登場してくると、電流、電圧等の単位を国際的に統一する必要が生じてきました。そこで1921年にメートル条約が改正され、メートル法体系を電磁気量、測光、温度、時間及び物理定数等へも拡張していくとことが決定されましたが、戦争による中断などもあり、結局第二次大戦後まで持ち越されました。そして戦後の1948年に開催された第9回国際度量衡総会で、力学量の諸単位と電磁気の諸単位を統合した新しい単位系を作ることが改めて合意されました。

なお、この総会では、メートル法とヤード・ポンド系単位の両者を統一するための検討を開始することについても合意されました。ヤード・ポンド法を使用しているイギリス、米国も、実態はともあれ既にメートル法条約に調印しているのですから、両者統一の問題が再び議論されるというのは不思議な気がしますが、ある意味でこの合意はヤード・ポンド法の敗者復活戦だったのです■。計量標準の問題は国家の威信にも関わる政治的な課題だったのです。

こうした経緯を経て、1960年の第11回国際度量衡総会において国際統一単位系、SI単位系が誕生しました[4]SI単位系では基本的電磁気量について国際的統一が行われましたから、国際電気標準会議(IEC)はSI採択を待って直ちにIEC規格へのSI採用を開始しました。また各国の標準化組織もSI単位系への移行を進めました。フランス(1961年)、ソ連邦(1963年)、イギリス(1965年)、オーストラリア(1970年)、西ドイツ等のEC諸国(1971年)、カナダ(1972年)がそれぞれの国家規格でSIの採用を開始し、ISO1971年からISO規格へのSI採用を開始しました。

なお1960年の国際度量衡総会では、併せてメートルの再定義が行われました。新定義では、指定された条件下で86Kr原子が特定準位間の遷移で発する光の真空中における波長を基礎とした定義が採用されました。1983年の国際度量衡総会では更に真空中の光速度を基礎とした再々定義が行われています。計量単位の基礎においては次第に原子物理学的手法が重要な役割を占めるようになっています。

 

表■にSI単位の一覧を掲げておきます。SI単位で用いられる単位名称に採用された科学者の出身国を数えてみると、メートル、キログラム、秒のように人名に由来しない単位もありますが、「特別な分野で併用される単位」、「暫定的に維持される単位」まで含めると、イギリス人、フランス人、ドイツ人が各5人、米国とイタリアがふたり、スウェーデンが一人となっています。

 

未だにメートルへの移行を行っていない米国

1999年末現在、メートル法を採用していない国は世界中で米国、パナマ、ミャンマーの3カ国だけとなりました。米国は既に百年以上前にメートル条約に調印していますが、国内での準備不足を理由に未だにインチ・ポンドを度量衡標準としています。コンピュータをはじめとする米国製品は輸出されるものも含めて未だにインチが使用されているのは周知のとおりです(例えば、31/2インチ・フロッピーディスク、印字密度500dpidots per inch)のプリンター等)。■1999年にEUがメートル法以外の製品について輸入制限を行うとの方針を発表したとき、米国は直ちにWTO違反であるとの反撃を行いました。この様子では、米国のメートル法移行にはまだまだ時間がかかりそうです。

余談ですが、米国のこの姿勢は日米欧露が共同で開発している宇宙ステーションでも問題となりました。日欧露は宇宙ステーションの各部品の設計にあたって全てメートル法により行うことを提案しました。これは当然でしょう。これに対して米国はヤード・ポンドに固執し、結局それぞれがメートル法とヤード・ポンド法で作り、連結部分などの寸法は他方の単位系への換算値を括弧書きで示すということになりました。両者の関係は割り切れる値ではありませんから、小数点以下3桁程度の換算値を併記してもなお無視できない誤差が残ることになりました。世界全体への影響力が大きい米国には、一日も早く真剣にメートル法移行を進めてもらいたいものです。

身近に見かける米国由来のヤード・ポンド系単位

ポイント:文字の大きさ等に使われる単位。1ポイント=1/72インチ。(=約0.353mm)

dpi:dot per inchの略。

 

表■ SI単位

 

名称

記号

 

名称の由来となった科学者、技術者

SI基本単位

長さ

メートル

 

 

質量

キログラム

kg

 

 

時間

 

 

電流

アンペア

 

Ampere, Andre Marie 1775-1836(仏)

熱力学温度

ケルビン

 

Lord KelvinWilliam Thomson1824-1907(英)

光度

カンデラ

cd

 

 

物質量

モル

mol

 

 

SI補助単位

平面角

ラジアン

rad

 

 

立体角

ステラジアン

sr

 

 

固有の名称を持つSI組立単位

振動数

ヘルツ

Hz

 

Hertz, Heinrich Rudolf, 1857-1894(独)

ニュートン

N

 

Newton, Sir Isaac, 1642-1727(英)

圧力、応力

パスカル

Pa

N/m2

Pascal, Blaise, 1623-1662(仏)

エネルギー/仕事/熱量

ジュール

J

Nm

Joule, James Prescott, 1818-1889(英)

仕事率、放射束

ワット

W

J/s

Watt, James, 1736-1819(英)

電気量、電荷

クーロン

C

As

Coulomb, Charles Augustin, 1736-1806(仏)

電圧、電位

ボルト

V

W/A

Volta, ■(伊)

電気容量(静電容量)

ファラド

F

C/V

Faraday, Michael, 1791-1867(英)

電気抵抗

オーム

Ω

V/A

Ohm, Georg Simon 1789-1854(独)

コンダクタンス

ジーメンス

S

A/V

Siemens, Ernst Werner von 1816-1892(独)

磁束

ウェーバ

Wb

Vs

Weber, Wilhelm Eduard 1804-1891(独)

磁束密度

テスラ

T

Wb/m2

Tesla, Nikola 1857-1943(米、クロアチア生れ)

インダクタンス

ヘンリー

H

Wb/A

Henry, Joseph 1797-1878(米)

光束

ルーメン

lm

 

 

照度

ルクス

lx

lm/m2

 

放射能

ベクレル

Bq

 

Becquerel, Antoin Henri 1852-1908(仏)

吸収線量

グレイ

Gy

J/kg

 

線量当量

シーベルト

Sv

J/kg

 

特別な分野でSIと併用される単位

エネルギー

電子ボルト

eV

 

 

質量

原子質量単位

u

 

 

長さ

天文単位

AU

 

 

 

パーセク

pc

 

 

暫定的にSIとともに維持される単位

長さ

海里

 

 

 

 

オングスオローム

 

Angstrom, Anders Jonas 1814-1874(スウェーデン)

速さ

ノット

 

 

 

面積

アール

a

 

 

 

ヘクタール

ha

 

 

 

バーン

b

 

 

圧力

バール

bar

 

 

加速度

ガル

Gal

 

Galilei, Galileo 1564-1642(伊)

放射能

キューリー

Ci

 

Curie, Peirre 1859-1906(仏)

Curie, Marie 1867-1934(仏、ポーランド生まれ)

照射線量

レントゲン

R

 

Rontgen, Wilhelm Conrad 1845-1923(独)

吸収線量

ラド

rad

 

 

線量当量

レム

rem

 

 

出典:

 

 

 


日本の度量衡発達略史

 

開国以前の度量衡

古代の日本にも身体の一部を基準とした「つか」「ひろ」「あた」等の単位のあったことが古事記や日本書紀に記されています。しかし唐の国家体制にならって国家建設を進めるようになると中国の度量衡が輸入され、大宝2年(702)には、朝廷が標準の計量器を諸国に配り、検定の制度を始めたことが知られています。しかし、全国的な計量単位の統一が、、、、

長さの単位を「尺」とし、重さの単位を「貫」とする尺貫法は、、、

 

明治日本の選択

幕末に日本が開港したのは欧米でメートル条約が締結される以前のことであり、欧米諸国には多数の計量単位が併存していました。187111月から18739月にかけて米欧10カ国を回覧した岩倉使節団も欧米の計量単位事情について調査を行いました。帰国後に使節団の公式報告書としてまとめられた『特命全権大使米欧回覧実記』(全100巻、明治11年刊)を分析した結果によれば、一行が見聞した欧米諸国の計量単位の一覧は表■のようであったようです[5]。メートル条約成立に先立って、大陸ヨーロッパ諸国では既にメートル法への移行がかなり進展していたことが分かります。

 

表■ 岩倉使節団のみた当時の米欧諸国の計量単位

訪問国

長さ

体積

重さ

米国

イギリス

yard

foot, feet

inch

mile

gallon

bushel

quarter

pound

hundredweight

ton

フランス

ベルギー

metre

kilometre

litre

hectolitre

gramme

kilogramme

プロイセン

Meter

Mile

Meile

Scheffel

Pfunt

Zentner

オランダ

elmetreの仮称)

palmcmの仮称)

kanlitreの仮称)

vathectolitreの仮称)

pondkgの仮称)

ロシア

arshin

fut

 

funt(zolot)

zolotnik

lot

スイス

ほぼフランスと同じ

 

 

イタリア

ほぼフランスと同じ

 

 

(注)網掛け部分はメートル法への移行が行われた部分を示す。

 

こうした中で、メートル条約成立の知らせを聞いた明治政府がとりあえず行ったのは日本国内の計量単位とメートル法単位との換算比率を定めることで、度量衡取締条例(1875、明治8年)により、1匁=3.756521グラム、1尺=10/33メートルと定めました。尺貫法といっても全国で少しづつ違っていた標準をこの換算係数によって統一するという効果もありました。そして条約成立10年後の1885年、日本もメートル法条約に加盟しましたが、いきなりメートル法に統一するのではなく、それまで国内で使用されていた尺貫法等の伝統的な度量衡制度を当面の間併用しながら徐々にメートル法に移行するとの方針で臨みました。メートル法の基準となるメートル原器が1890年に日本に到着すると、翌年には度量衡法を制定し、尺貫法とメートル法の併用を定めました。また1903年には中央度量衡器検定所が設立されて、計量器の校正業務が開始されました。中央度量衡器検定所はその後何度かの名称変更を経て、今日の計量研究所へと発展してきました。

 

メートル法統一への歩み

日露戦争後の明治42年(1909)、度量衡法が改訂されてヤード・ポンド法の併用を認めることになり、以降、メートル法、尺貫法、ヤード・ポンド法の三方式混用の時代が第一次大戦後まで続きました。何故ヤードポンドを取入れる必要があったのか?

 

第一次世界大戦は日本の工業技術政策の上でも大きな転機をもたらすものでした。1917年に制定された軍需工場動員法はその一つの現われです。同法の可決にあたって衆議院はメートル法への一本化を決議し、大戦終了後の19196月には農商務省に「度量衡及び工業品規格統一調査会」が設立されました。■尺貫法サイドからの慎重論、反対論は?■最終的には、1921年に度量衡法が再度改正され、19446月末日を期限として、三方式併存からメートル法への統一を進めるという方針が掲げられたのです。昭和のはじめ、全国の小学校に「薪を背負って本を読む二宮金次郎」の銅像が贈られましたが、これはメートル法の普及を意図して丁度背丈が1メートルの高さで製作されていたそうです[*]。

戦後、度量衡法は計量法と改められましたが(1951)、メートル法に統一するとの基本方針は踏襲され、統一の猶予期限は1958年末と定められました。このようにして195911日からは取引又は証明の単位としてメートル法以外の単位を使用することができなくなり、メートル法への統一は急速に進みました。土地・建物については例外的に「坪」、「■」等の単位の使用が認められていましたが、これも19664月以降は完全にメートル法への移行が行われました。実に長い期間を要してメートル法への移行が達成されたのです。

 

 

明治8

1875

明治24

1891

明治42

1909

大正10

1921

昭和26

1951

 

尺貫法

 

 

 

 

 

 

メートル法

 

 

 

 

 

 

ヤードポンド法

 

 

 

 

 

 

 

 

 

GATTスタンダードコードの成立とSI単位系への移行

メートル法移行の困難と比べるとき、SI単位系への移行は比較的容易であったといえます。SI単位系の中心はMKS単位ですから、メートル法への移行を完了していた国にとっては既にある程度のSI移行は終了しているのです。

SI単位系成立後、日本でもその採用方針が決定されましたが、そのための戦略として、まず国家規格であるJISSIを採用し、そのJISの使用を通じて産業界へのSI普及を促進するという考え方がとられました。1974年にはJIS Z8203「国際単位系(SI)及びその使い方」が公刊され、逐次JISの書き換えを進めることが決められました。当時存在した約■件の日本工業規格(JIS)を見直した結果、約3400件のJISについてSI導入に伴う書き換えが必要と見込まれました。第一段階として非SI単位を用いている個所に括弧書きでSI単位による換算値を記入するという作業を進め、これは19793月までに完了しました。

他方海外では、EC諸国が1978年から法律によってSIの使用を義務づけ、コメコン諸国も1981年からSIを法律で義務づけることになりました。1979年にはGATT東京ラウンド交渉の結果、「GATTスタンダードコード」と呼ばれる合意が成立しました。各国の規格、基準、認証制度に対して国際規格との整合性を求めることを内容としたものです。このような情勢を受けて、1981年以降、SI移行は第2段階、第3段階へと進んでいきました。

 

理科教科書のメートル、SI以降は?

 

国際度量衡標準に対する日本の貢献

国際度量衡局の最高議決機関である国際度量衡委員会は、総会で選挙される、国籍の異なる18人の委員から構成されていますが、日本の代表として参加しているのは歴代■です。

また度量衡標準に関する計量研究所の量子部が長さを、熱物性部が温度を、力学部が質量標準を担当し、電磁気量については電子技術総合研究所が担当しています。

 

時間、光度、物理量は?

電圧のジョセフソン素子

 

 


トレーサビリティー

 

トレーサビリティーとは

計量標準に関する重要な概念に「トレーサビリティー」(traceability)というものがあります。トレース(trace)とは「追跡する」といった意味ですから、追跡可能性とでも訳せるかもしれません[6]。いくら厳密な方法によって長さや重さの基準を定めても、通常の測定はもっと簡便な方法や道具を用いて行われる訳ですから、その測定結果が正しいものであることを説得的に示すためには何らかの証明が必要です。自分が測定に使用した機器はどのようにして校正されており、またその校正の際に参照した標準はどのようにして校正されたものであるのか、といったことを切れ目なくたどって証明することが必要となります。このようにして、測定結果が、切れ目のない一連の比較校正によって国家標準や国際標準のような適切な標準と関連付けられていることを「トレーサビリティー」といいます。エジプトのピラミッド建造の際には、満月の夜ごとに工事監督者が集められ、宮殿の壁に刻まれた「原器」に作業用の物差しを当てて校正をさせたそうですが[7]、実に古代から行われていた手続なのです。

 

標準物質の供給

 

 


経緯度・標準時

これは、いわば地球表面の空間座標と時間座標に相当するものです。

 

経緯度と標準子午線の決定

度量衡の他にも社会運営の基本となる標準があります。それらは普通敢えて「標準」と意識されることはありませんが、いずれも「グローバル・スタンダードのはしり」とも言うべき存在です。例えば、地球の経度座標は18xx年以降イギリスのグリニッジ天文台を基準点として定められていますが、これ以前の世界ではバラバラな基準点が使われていました。

 

国際緯度観測事業
国際地球年に

 

地球規模の標準時

 

鉄道事業の発達と標準時 [8]

標準子午線と国際標準時は表裏一体の関係にあります。現在世界中の時刻は、グリニッチ時刻を国際標準時(GMT: Global Mean Time)とし、これとの差によって関係づけられていますが、これが決められたのはそれ程古いことではありません。1884年に開かれた■国際会議で米国が提案し、フランスとアイルランドの反対を押しきって決められたものなのです。

もともと人間の生活圏が狭い範囲にあったとき、時刻はその土地毎に決められていても何の不都合もありませんでした。しかし鉄道の発達によって各地方が結び付けられてくると、土地毎に決められたローカルタイムというのは様々な障害をもたらすようになりました。イギリスで鉄道の運行が始まった頃の時刻表を見ると、列車の発着時刻は各地毎のローカルタイムで記されており、欄外には「A町の時刻はB町の時刻よりも7分早くなっている」といった類の注釈が付されていたということです[9]

こうした不便を解消すべく、18xx年には■、、、、、、、

 

正確な時刻を地球的規模で共有するという極めて基本的な問題は、今日的にも重要な課題を含んでいます。既に述べたように、セシウム原子の特定準位間の遷移を基礎にした原子時計は極めて精度の高い時計ですが、世界中にある約100台のセシウム時計の示す時刻を統計処理して得られる時刻は世界原子時(TAI)として用いることが国際度量衡委員会で1971年に決定されました。■日本の貢献は?

かつて経度の決定に正確な時計が必要とされたように、グローバル・ポジショニング・システム(GPS)による位置決定精度はGPS衛星に搭載された時計の正確性がその鍵を握っています。現在公開されているGPSの位置決定システムの精度は約■メートルといわれます。非公開サービスである軍事用の位置決定サービスの精度は■メートルと言われます。GPSの原理は、正確に同期した時計を持つ複数の衛星から送られてくる電波の位相差を測ることにより受信者の位置を特定するものです。衛星搭載の時計が仮に10-8秒程度狂えばその間に電波は約3メートル進みますから特定した位置も3メートルずれてしまうわけです。現世代のGPS衛星に搭載されている時計はセシウム原子時計

 

 



[1] 尺が日本に伝わったときには既に30センチメートル程度になっていました。

[2] 大宝律令は現存していないのですが、後の飛鳥浄原律令には■。

[3] 工学会誌第38巻、明治18年(18852月、64-78頁。

[4] System International d'Unitesの略。フランス語の綴りからの略号となっている。

[5] 高田誠二、「維新の科学精神:『米欧回覧実記』の見た産業技術」、朝日選書、1995年。

[6] JISでは日本語訳を行っていません。技術用語を徹底的に国語訳している中国では「標準追遡性」と訳しているそうです。三井清人、「国際単位と品質規格」、ほるぷ出版、1993年、44頁。

[7] 三井清人、「国際単位と品質規格」、ほるぷ出版、1993年、44頁。三井氏も計量研究所の出身である。

[8] 国際標準時の成立史については■。時間にまつわる様々な逸話をまとめた本として角山栄「時計の社会史」、中公新書、1984年も興味深い本です。

[9] 角山栄、前掲書、201

[*] これらの像は戦時中に全て供出され、筆者らの世代が小学校の校庭で見たものは戦後の復元像です。しかし小田原の報徳二宮神社には昭和3年に寄付された一体が現存しており、これも身長1メートルとなっています。筆者が戦前のメートル法普及にまつわる話を知ったのは、この銅像に付された注釈からです。

 

計量の歴史(年表):長野県見料検定所作成
http://www.icon.pref.nagano.jp/usr/keiryo/history/rekishi.htm