日本における著作権保護の歩み

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目次

  1. 江戸時代の出版事情

  2. ヘボン博士と日本の著作権保護の夜明け

  3.  

 

1. 江戸時代の出版事情

 

 

 

2. ヘボン博士と日本の著作権保護の夜明け

 

 

 


西暦年



著作権法の歩み



出版事情など


1862(文久2)

 

刊本辞書としては初の「英和對袖珍辞書」

1863(文久3)

 

ヘボン博士(James Curtis Hepburn, 1815-)、横浜で英語塾を始める。高橋是清、益田孝などが学ぶ。

1867(慶應3)

 

4月、ヘボン博士、「和英語訳集成」刊行。日本国内では印刷できないので上海の美華書院へ発注。一部18両(当時の米500kgに相当)だったが、ときには60両で取引されたという。1200部発行。

1868(明治1)

9月、明治と改元

■諭吉の紹介記事のこと

1869(明治2)

5月、書籍出版の取締規程として出版条例制定。出版の免許により出版者に「専売ノ利」を取得させる旨の規程を含む。

「袖珍辞書」の海賊版である「和訳英辞書」が出回る。

早矢仕有的(はやしゆうてき)、師事する福澤諭吉のすすめにより横浜に丸屋商社を創業。書籍・文具・洋品雑貨を販売(事実上、日本の株式会社第1号、後の丸善)。

 

 

 

1872(明治5)

出版条例改正

「和英語訳集成」第2版。翌年には、縮約版小型本がニューヨークで刊行される。

1874(明治7)

 

文部省が「附音挿図英和辞彙」の版権・製本を買上げ[小宮山]。

1875(明治8)

出版条例改正

 

1885(明治18)

 

1月17日、羅馬字会設立

1886(明治19)

 

ヘボン博士、「和英語訳集成」の版権を丸善に売却。丸善より「改正増補和英語林集成」として出版。ローマ字表記法に羅馬字会の綴り方を採用。博士はこの資金をもとに当時東京随一といわれた木造建築のヘボン館(寄宿舎)を白金の明治学院のキャンパス内に建設。

1887(明治20)

出版条例の版権保護の部分が独立し、版権条例となる。同時に、脚本楽譜条例、写真版権条例制定。

 

1899(明治32)

■月、ベルヌ条約加盟。同時に、版権条例、脚本楽譜条例、写真版権条例を統合し著作権法制定。
7月、日英通商航海条約ほか改正条約実施。

 

18(明治)

 

 

18(明治)


 


 


 

【参考図書・参考サイト】

  1. 文部省、「学制百二十年史」、 第一編第三章第二節「文化財保護と文化財行政」
    http://wwwwp.mext.go.jp/v120nen/index-31.html

  2. 小宮山 博史、「十九世紀の書籍における興味深い原版と複刻版比較三例」
    http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/05/5100.html
    東京大学総合研究博物館、「東京大学コレクションXII 真贋のはざま」所収

  3.  

 

 

 

 

 

東京朝日新聞 明治44年9月24日

 

▲嗚呼ヘボン先生:高橋日銀総裁の追懐

嗚呼ヘボン先生は死んだか、余は先年紐育に居つた折夫人は脳を病んで入院してニュージャージーに寂しい詫住居をして居られるのを訪問したのが終に此世のお別れであったのである

▲崇高なる人格

余は慶應元年横浜に出でて先生の門に入つたのが十一二歳の少年であった先生の本職は宣教師で今の横浜停車場の前の橋畔にある教会堂にて布教の傍ら眼科の手術を施された故岸田吟香氏は先生に漢学を教えた縁故で其助手を勤め一時大に流行した岸田精気水という目薬は此の当時岸田氏が先生の使用して居た目薬を他日売出したのである、先生は今日の宣教師の如く最初から基督教を説き徒らに信徒の多数を得るを以て誇りとせず先づ日本人に泰西の学術を教えて専ら文化の途を開くことに努められた、人格崇高にして其一言一行は生きたる教訓であった

▲英訳辞書の嚆矢

先生は岸田氏の助力を得て英和及和英の辞書を編纂し之を上海にて出版し以て大に邦人の英語研究に便宜を与えられた所謂ヘボン辞書と呼ばれて大に重宝がられたのは此書である、是が多分我邦に於ける英語辞書の嚆矢であろう。

▲特許法の制定

明治七八年の頃余が文部省にありたる当時先生はヘボン辞書を再版するに当り之が版権を得たき旨を同省の顧問たりしモルレー氏に懇談せられ同氏は之を同省に提議した、然るに当時我邦には出版又は特許に関する規定なきは勿論是を制定するの必要不必要も薩張り解らなかつた、そこで余は政府の命に依つて其の調査に取掛つたが文部省にも図書館にも一冊の参考書がない大英百科辞典に依り辛くも其性質を会得した滑稽な騒ぎで他日余が農商務省に転じて特許に関する法令を制定する事となつた、是もヘボン博士に因ある物語りである。

 

※:ダビッド・モルレー(David Morley):明治6年6月から明治11年12月まで文部省顧問(初め督務官、後に学監)として米国より招聘された。