イコール・ランゲージ・オポチュニティー
三上喜貴、長岡技術科学大学
通商産業研究所特別研究官
穏やかなビルマの友人の怒り
昨年10月にハノイで開催された会議でのことである。その少し前にロンドンで開催された国際会議から戻ったビルマの友人T君は興奮を抑え切れないようにして次のように報告した。「我々の要求は受け入れられた。しかし、彼らは一体『レスペクト』という単語の意味を知っているのだろうか?私たちは怒りを押さえるのが精一杯だった」と。
このロンドンでの会議は人権問題の会議ではない。スーチー女史を主題とする会議でもない。ISO(国際標準化機構)とIEC(国際電気標準会議)の合同委員会である情報技術委員会文字コード分科会のことである。1998年9月、ロンドンで開かれたこの会議で万国文字符号表に追加されるミャンマー文字の文字コードについての審議が行われた。万国文字符号表第1版には既に20種類を超える世界の文字が含まれている。ラテン、ギリシャ、キリル、アラビア、ヘブライをはじめ、アジアの文字としては漢字、ハングル、日本の仮名、インド公用語の九種類の文字、タイ文字、ラオ文字等が含まれている。そして昨年から今年にかけてミャンマー、クメール、チベット、モンゴル等の各文字の追加作業が進行した。
しかしこれらの文字コードの全てが当該文字の母国から提案されたものではない。もとよりアジアの多くの国はこの会議に出席すらしていないのだ。ミャンマー文字の提案もアイルランドの文字デザイナーから提案されたものだ。この原提案をミャンマーの専門家グループに連絡し、ロンドンで意見を述べるように勧めたのは、工業技術院標準部の支援で進めている「多言語情報処理技術プロジェクト」の事務局をつとめる国際情報化協力センター(CICC)のS氏である。筆者はその仲介役であった。ミャンマーはT君を含む5人の専門家からなる代表団をロンドンに送り、原提案の理不尽な点を修正すべく対案を提示した。しかしミャンマー語を母語とするコンピュータ専門家の用意周到な発言にも拘わらず、原提案者達は容易に自説を曲げようとしなかったのである。筆者はロンドンには同行しなかったが、あの穏やかなT君が興奮して冒頭の台詞を述べたとき、そこで彼の神経をあそこまで高ぶらせる何かがあったことを理解した。
今年の3月、今度は福岡市内の国際会議場で半年ぶりにこの分科会が開かれ、筆者もT君達と一緒にこの会議に出席した。今回もミャンマーは5人の代表団を送ってきたが、ことミャンマーに関しては、会議は平穏であった。T君達は納得できる成果を得てようやく安堵の表情であった。今度怒りを押さえなくてはならない立場に立ったのはカンボジアから出席した友人のM君であった。
バベルの悲劇
一昨年ブラッセルで開かれたGIIに関するG7主催の会議で日本代表の一人であった先述のS氏は「イコール・ランゲージ・オポチュニティー」と題するスピーチを行った。現代の情報技術の恩恵は遍く全ての言語の使用者にゆきわたるべきであると。しかし、このことを実現するのは容易なことではない。
日本の歴史を振り返ってみよう。日本の情報処理の先覚者達は日本語が使用する文字をどのようにしてコンピュータ上で実現するかについて、永年努力を積重ねてきた。はじめに仮名文字が、やがて漢字がコンピュータによって扱われるようになり、そして1978年にはJIS漢字コードが完成した。同じ年に日本語ワープロが登場し、日本語情報処理の本格的幕開けを迎えたのは偶然ではない。
東アジアではまず中国と韓国が日本に続いた。いずれも80年代に自国語の文字コードについて国内標準を制定した。一方、東南アジアでは多くの国がラテンアルファベットを使用しているため独自の文字コード制定の必要はなかったが、これは過去数百年間の歴史の中で伝統的な文字が失われた結果である。東南アジアの島嶼部においても、また半島部においても、古くはインド由来の文字が使用されてきた。タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーではそれが今日まで使われているが、フィリピン、マレーシア、インドネシアでは伝統的な文字はほとんど消滅してしまった。筆者はデリーの国立博物館を訪ねた折、古代のインド文字がどのようにアジア各地に拡散していったのかを図示したパネルを見た。タガログ語の記述に使われたタガログ文字、ジャワ島住民の言語であるジャワ語のジャワ文字、バリ島のバリ文字、半島部に住んだ歴史上の民族であるモン族やピュー族の文字等は全てインド由来の文字であるが、これらはほとんど、或いは完全に消滅してしまった。
現在でも使用されているインド系文字のうち、広く使われている文字コード標準があるのはインド公用語の文字とタイ文字、スリランカのシンハラ文字及びバングラデシュのベンガル文字だけである。これらの文字コードは国家標準として定められており、万国文字符号表にも採択された。しかし多くの国は引き続き文字コードの乱立に悩んでいる。かつての大型コンピュータ全盛時代に情報化の洗礼を受けた国では、コンピュータ利用者が限られていたために比較的落ち着いて文字コードの標準化を進めることができた。しかしパソコン時代となった80年代後半以降に情報化時代へと突入した国々では、誰でも簡単に文字を作れるようになったため多数の文字コードが登場し、混乱が広がった。筆者はヤンゴンの町でミャンマー文字フォントを収集したが、筆者が集めただけでも10種類を超え、これらのコード間に互換性はない。インドシナ半島の多くの地域も似た状況だ。
文字コードの標準化の遅れは何を意味するか?図1を見ていただきたい。アジア諸国におけるインターネットに接続されたホストコンピュータの数を示すグラフである。縦軸は対数目盛であるから、右上がりの直線に見える成長カーブは指数関数的増加を意味する。若干の紆余曲折はあるにせよ、アジア各国でインターネットが急速に普及していくことは疑いがない。しかしインターネットの利用者達が異なる文字コードを用いている限り、彼らの間で自国語によるコミュニケーションは成立しない。他人の作ったホームページを見ることもできない。標準化の遅れ、文字コードの混乱は、バベルの塔の悲劇を生む。
活字・識字
15世紀のグーテンベルグが発明した活字印刷技術は人類のコミュニケーション、知識の伝達と記録に大きな役割を果たしてきた。ではその恩恵は一体何処まで及んだのか。日本で活字印刷が始まったのは明治維新前後である。過日関西方面に所用の折、久々に夜行列車「白鳥」で大阪へ向かった。早朝の大阪で時間を持て余して四天王寺の境内を散歩していたら偶然本木昌造翁の記念像に出くわした。翁は日本における活字印刷の開拓者である。翁の活躍と同じ頃あるいはそれよりも早く、アジア各地に赴任していた宣教師達はラテン文字の金属活字を持ち込み、任地の言語をローマ字化して印刷した。しかし任地の文字を金属活字として鋳造する試みはそれ程多く行われたわけではなかった。西洋社会で当たり前のように普及した印刷機械もアジアの多くの地域では今なおありふれた存在とは言えない。
図2を見ていただきたい。UNESCO統計によるアジア各国の紙消費量を示したものである。UNESCOが集計しているのは包装・梱包やトイレ・化粧用といった用途を除く、印刷用紙及び筆記用紙に限っての数字である。消費量が最低である北朝鮮やラオスの紙消費量は国民ひとりあたり55〜60グラム。A4コピー用紙一枚の重さは約4〜5グラムであるから、北朝鮮やラオスの国民ひとりあたり筆記・印刷用紙消費量はA4コピー用紙換算で年間12枚程度である。同様の計算をすると、カンボジア15枚、モンゴル30枚、ミャンマー80枚、ベトナム250枚、インド400枚となる。ちなみに日本全体の平均値は113キログラムであるからA4換算では2万枚を超える。
こうした4桁に及ぶ印刷文化の格差の原因には政治的なものや全般的貧困もあろうが、基本的には活字印刷が開花・定着しなかったことにある。それはまた識字率の低さの遠因でもある。少数民族までに視野に入れれば、活字印刷の時代を全く迎えなかった文字文化圏すらある。今年の3月ネパールを訪ねた。その時カトマンドゥーでソフトハウスを経営するA氏から、ネパールの主要民族の一つであるネワール族の使用するネワール文字はついに金属活字が作られず、印刷はすべてヒンディー語のデーヴァナーガリ文字への換字によって行われていることを教えられた。
こうした中で、パソコンの普及はグーテンベルク以降の500年間実現しなかった活字文化を開花させる可能性を持っている。東南アジアの町でちょっとしたチラシや新聞の編集に用いられているのがパソコンを用いたデスクトップ・パブリッシングである。筆者がミャンマーで調査したところではパソコンユーザの3割が出版用途であった。各国語処理を行うパソコンとプリンタは最も手軽に利用できる印刷機なのである。97年5月、工業技術院とUNIDOの共催によりシンガポールで開催された多言語情報処理国際会議では、インドネシア大学の研究者から古代のジャワ文字を記録するソフトのデモが行われ、フィリピン大学の研究者からはタガログ文字入出力のデモが行われた。多民族社会の緊張関係が軍政の背景となっているミャンマーでも、町のパソコン・ショップでカレン族やシャン族の文字フォントが売られているのを見た。現代の情報技術による活字文化活性化の福音は、全ての文字、死語となった文字にさえ開かれているのだ。
情報化の波は英語の地位を著しく高めている。それは事実だが、「イコール・ランゲージ・オポチュニティー」の実現を悲観視する必要はない。世界の文字について、そのコンピュータ上での表現である文字コードの着実な標準化が行われるならば、情報技術の恩恵を全ての文字に、全ての人々にいきわたらせることが可能である。
最後に御参考まで

Universal Declaration of Human Rights